祝日まで仕事ってこんなアホな会社は課税対象にすればいいのに


祝日労働者に仕事させる雇用者からは税金取ればいいのに。
そんでもって生活にかかる税金下げればいいのになあ。

と世の中休日で静かな中で仕事してるとよく思う。

まあ稼働してる会社もちらほらあるが、やはり平日より少ない。

仕事嫌いな人間にとっては最強のストレスだな。
寝たい、遊びたい、自由になりたいで集中もできない。
こんな中で高いクオリティで仕事出来るのは社畜ぐらいだな。

実際時間は24時間と限りがある。
そのなかでもさらに決められた時間内で皆仕事してるわけだが、休日に仕事する奴らは普段の仕事プラス他人が休む時間に働き、先んじようとしてる言わば狡猾な奴らだ。

言い換えれば他人が休む時間までも働かなければ他人より利益を上げられない。
無能の極みだ。

経営者はそれでいいと思うわけだが労働者に強いるのはどうかと思う。
本来休む時間を押して働くならその事業を行う経営者のみにすべきだ。
労働者はその事業のあくまで協力者であって発起人ではない。

だから強制はおかしいのだ。

もちろん休まず協力したいならそれなりの割増対価をもらいすればいいと思う。

そして会社が勝手に休日に出勤させるなら、そういった企業は課税対象にすればいい。
他人を能力ではなく時間的に、しかもその時間が他人のものだという事、他人の時間で出し抜いた挙句他人を利用し利益を出そうとしているのだからな。

やりたい奴はそれでいい。
だが、やりたくない奴にまでやりたい奴への体裁のため一律なのが頭悪い。
ヘイト買っても社の利益どころか損失になりかねないという事を理解していない。

休日とされる日は出勤自由にすればいい。
基本NGで、そしてやるなら倍以上の割増。
本来休むべき日の人身拘束は人の貴重な時間を対価にしてるんだからもっと厳しくてもいいが・・・

それで運営していけないような企業はそもそも営利組織として存在意義はないから無くなって結構。


はあ、

それにしても時間を無駄に吐き捨てるだけの企業が多過ぎる。
火の車で運営してるところなど国で強制的につぶせばいいのに。

それには休日出勤させる企業に高額の税金。
国も潤うだろ。

ほんと休日まで働いてると仕事そっちのけでこんな妄想が捗るわ




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仕事は過程、過程は過程でしかなく目的にはなり得ないのだ

働くことは目的にはなり得ない

なぜなら働くことは嫌いだからだ。

嫌いなことを目的にしていたとしたらどれだけマゾヒストなんだろうとは思うが、まあそれもアリだとも思う。

働くこと、労働とは金を得るためという目的に到達するための過程でしかない。
当の労働も目的=利益を出す為に普段の仕事を“過程”として行っている。

過程ということは、目的に辿り着くための道程でしかない。
つまり、目的に辿り着ければ過程など目的ほど重要ではないのだ。


中には到達するための過程を楽しむという人もいるかもしれない。

例えば、バイクなどは目的地に着くための過程=走っている時だろうとも言える。

ただ私の場合は目的地にたどり着くことが目的ではない場合が多い。
つまり、到達するための過程=走っている時そのものが目的であり、“バイクに乗って走る”という行為そのものが目的なのだ。

目的地にたどり着くことはおまけみたいなものだな。

まあ、これは趣味の話。

仕事に話を戻すと、仕事そのものは過程でしかない。
先ほどの趣味の話とは逆で、“仕事が生きがい”とかいう酔狂な人間だったら仕事が目的なのだろうが、私は違う。

仕事は金を得るための手段であり、金を得るという目的のための過程でしかない。
金という目的さえ達成できればどの方法、道程を選ぼうが構わない。
つまり、仕事などは何でも構わない。
“金”という目的に辿り着ければな。

だから、嫌だったら辞めるし、気に入らなくなったら無責任に切り捨てる。

仕事に責任感や、やりがいと言ったことを押し付けるのは仕事を生きがいにしている人間だろう。
ただの過程にやりがいだの何なの言ってる奴は阿呆としか思えないな。



嫌なことも強制されることが普通だと思い込まされて行動させられているこの国そのものが洗脳を施す宗教団体のようなもの

いや~オウムはかわいい方だね。
オウムなんて目じゃないほどの巨大な宗教団体だよ。
現に潰されたしね。


大多数の人間は朝出勤するときに生きた屍のような面構えをしている。

何が楽しくて生きてるんだこいつら?と私は勝手に思っている。
だってねぇ、本当に生気の無い人間であふれているからねぇ、朝。

まあ、思うに楽しくない“労働”に勤しんでいるんだろう。
労働をバリバリして、やりがいを持って働こうと言うのは完全にプロパガンダだろうな。

これに、嫌でも従い働いている人間の愚かな事よ。
自由意志も奪われ、嫌なことも嫌と言ったら悪とされる世界。
嫌な事でも、それが当たり前、そうあることが自然だと思い込まされている。

だからこの国は洗脳国家だと言えるのだ。

朝の人々の面構え見れば異常さが分かりそうなもんだけどね。
集団で洗脳されるとこういう行動しかできなくなのが人間なんだなとしみじみ思うわ、朝出勤する人々を見てるとね。

なぜ、そうまでして働くのか?
なぜ、過労で死ぬまで気付かないのか?
それが、ただ生きるための“過程”でしかないことなのにそこまでするのか?

洗脳されてる人間の行動はよくわからない。

分かるのは、嫌なのに生きているんだなという事だけだ。

死ねばいいのに。



過程でしかないことにやりがいなど持てるはずもない

過程など目的達成のためのものでしかない。
すっ飛ばせるならすっ飛ばしたい。

例えば私はトレーニングなどは、力をつける事が目的なのだが、精神力もつけるために過程も重要視する。
キツイと思えることを“成し遂げる”ことにも意味を持たせている。

楽して動いても、“キツイ”体験は得られない。
体験していないと、キツイことに遭遇した時に体は言う事を聞かない。
“キツイことを行う”事も目的のうちなのだ、“鍛える”事のね。

しかし、仕事は違う。
仕事そのものに力を注いだことで目的である“金”には何ら影響はない。

影響があるのは経営者だけだ。
ただ雇われている人間にはメリットはない。

あることもあるが、それは経営者の裁量であって雇用側の都合ではない。

ただの過程である仕事を死ぬほどやったとしても自分に還元はされない。
無駄な事なのだ。

仕事にやりがいを持てだの責任を持てだのは雇用主のエゴでしかない。
求人募集見てるとこういう会社が多すぎる。
いつまで労働者が洗脳から目覚めないと思っているのだろうか?

やりがいがあります!!



バカじゃねーの?
そんなうたい文句で人来るわけないだろう。
逆に敬遠されるわ。

本当に、会社という集団を束ねているのかと思う。
所詮中途採用をするところはその程度だという事なのか?
集客の仕方から学べばと、他人事ながら思うわ。

こんな、阿呆な経営しかできない会社で働くことにやりがいって・・・
笑うしかないわ。

目的の金さえ、“稼げます”と書いておきながら、計算すると時給1000円のところが非常に多い。
稀に1000円以下の狂ったところもあるが・・・
稼げます=長時間労働できますだもんな。

これで今どき人が集まるのかね?
まあ、労働とは金を得るのが目的だから、やりがいとかいうわけ分からんものよりは敢えて騙されるバカは多いだろうな。

いずれにしろ、働きたくなくなるわな。

もう雇用される時代も終わりのような気がする。

昔のように経済成長中なら、歯車でも自分が国を立て直す一役を買うと思えるかもしれないが、今はねぇ・・・

やりがいなんて、持てるはずもない。
持っているとしたら日本の亡霊に洗脳されてるよ。



仕事は過程、それ以上でもそれ以下でもない

過程にやりがいを持つって無能。
会社だって無駄を省き、少ない労力で利益を上げればそれに越したことはない。

必ずしも過程を経なければ目的に辿り着けないわけではない。
過程を省略できるならした方が目的達成の近道になる。
それの積み重ねで、省けるものを省いていけばその時間分事業拡大に力を注げる。

過程自体にやりがいを求めることは、仕事全般を考えた時に矛盾している。
会社は仕事をすることが目的ではない。
仕事をした利益を得ることが目的だ。

それが真に理解していないから、“過程”如きにやりがいを持たそうとする会社が多い。

なぜ、過程である仕事如きに一喜一憂することを強要するのか?
仕事は機械のように淡々と熟すべき。
失敗しようが、なにかを成し遂げようが心に波風を立たせるべきではない。

基本同じことの繰り返しだからな。

なんかよく考えると、これが生きがいじゃあ脳も退化するな。
こんな面白くない他人の事など他にはないくらいなのにね。

勘違いしている人間多いが、雇用されている以上自分の仕事などない。

自分に与えられた他人の仕事だからな。
これを好きでやってるならマゾヒストか根っからの奴隷だろうな。

まあ、それも人それぞれだから否定はしない。
正し、それに他人を巻き込まなければ、な。

私は仕事も雇用“契約”である以上、こちらの意にそぐわないならいつでも切り捨てる。

なぜ人々は、文句を言いながらもその仕事を辞めないのか理解に苦しむ。

まあ、「嫌よ嫌よも好きのうち」というくらいだから、みんな過程に過ぎない仕事が大好きなんだろうけどね。
奴隷でいることに快感を得ているのかも(笑

しかし、私にとっては生きるために得る金のための過程にしか過ぎない。
体に悪い、危険など金を得るための手段として妥当ではないと判断すれば、すぐに辞める。
相手の都合など知ったことではない。

ただの過程である仕事で心身に悪影響を及ぼすようなら、それはそれ自体が目的になってしまってもおかしくない。

違うだろ?


生きるために金を得る。
金を得るために働く。
働くために身を削る。

あれ?

気付くと身を削りすぎて無くなってた・・・
もう生きる必要が無くなってた・・・


ってことになりかねないのでは?




おわりに

労働は過程、それを目的にしたら生を犠牲にするだろう。

本当に好きで労働している人間はいい。
好きにすればいい。

でも、大抵の人間は嫌だけど仕方なく働いている事だろう。
少なくとも私の周りはそう見える(見えるだけかもしれんがね)
労働が少しでも嫌だと思ったら、自分の人生の方を秤にかけろ。
生きる為に金を得る手段で生そのものを失ってはアホらしい。

仕事を辞めるのがそんなに重いことなのだろうか?

過程でしかない仕事などいくらでもあるのに。
ロクなところはないが・・・

金を得る手段も、いろいろある。

人生を犠牲にすることはないのだ。

だから、労働如きに責任感ややりがいを押し付ける会社は信用ならん。

物事の本質を覆い隠し他人を操ろうとしている魂胆が見え透いているからな。

そんなところに義理も立てないし、技能も提供しない。
テキトーにやろうと思われる。

使用者も労働者もこのように心理戦を繰り広げる。

何とも無能で不毛。

やはり働きたくなくなる。

この体質が変わらない限り生産性も上がらん。

まあ、使用者がただの過程にやりがいを押し付けるのが先か、労働者が怠けるのが先かわからない以上どちらがとは言えないが。

私が言えるのは、過程は過程でしかなく目的にはなり得ない。

生きる為に働くわけではない。
生きるための金を得る手っ取り早い事が労働なだけだ。
生きる事、金を得るのが目的であり、その手段でしかない労働は目的にはならないってことだ。

これが分からない人間の下では働きたくない。

人間が身を擲ってまで尽くすということは、その人に心底惚れ込んでいる事。
そしてその惚れ込んだ相手は信頼を裏切らないような人柄であり、己との間柄であること。

人を動かす事の難しさよ。

浅はかな会社程度の人間関係で責任を持てなどと言っているのは人間なのに人間を理解していない愚か者。

労働者は使用者の奴隷ではない。
責任を持たせて、人間を“使う”なら、人間を知ることから始めよと言いたいわ。

仕事を重要視する人間が多い。
乱暴な話、生きていくのに必要な金があるなら、もう目的は達成しているから働く必要はない。
過程は過程、目的にはなり得ないのだ













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サービス残業って奉仕したい奴だけがすればいいと思うから私は帰る

“サービス”残業なんだから、サービスしたい奴だけやればいい

サービスとか言われているけど、サービスじゃないよなサービス残業。
残業ってことは、仕事をしているわけだろ?
そこにサービスはあるのかね。

企業が労働の対価を払わないのに、仕事をさせるのが所謂サービス残業と言われている。
本来サービスとは精神的な利益提供であり、仕事という物理的行動に対して言わない気がする。

まあ、対価も払わないってことは、サービス残業で行う仕事には何の価値もないということで“サービス”なのかもしれんが。
対価という形ないものに対しサービスと言うこれまた形ないもので返しているところあたりね。

そう考えると、意外と成り立っているのか。


サービスというくらいだから、サービスとして提供したい奴だけただ働きすればいいのに、変にそこも平等にするからいけないんだと思う。

文字通り、ただで働きたい奴だけ働けばいいのに、やりたくない奴働かせるから不満が出るのだ。
そして、不満があるならそれはサービスではない気がする。

それを、強要することもサービスとは違う。

サービスとは本来、奉仕の心を持って、貢献することではないのか?
無理やりやらせているならサービスではない。

奉仕の心が無く、正当な対価交換をしたいなら普通は世に言われているサービス残業などしない。
だが、会社に忠誠を尽くし、奴隷として過労死することを望む奇特な人間もいるかもしれない。

その人たちを否定するつもりはない。
どうぞ、好きなだけただ働きして会社に貢献すればいい。
ただ、したくない人間を“自分がやってるから”とかくだらない理由で同じ目に合わせてはいけない。

なぜなら、奉仕とは、自ら進んですることであり強制されることではないからだ。

もし仮に、自分がやってて他人がサービス残業していないことに不満があるなら、あなたにサービス精神はない。
そして、やっていることはサービス残業ではなく、奴隷の行いでしかない。

サービス残業とは進んでやることであり、嫌な事ではなく、奉仕の心を以て貢献する行為なのだ。

それが理解できないなら速やかに帰るがよい。

そんな邪な心でサービスされても会社は喜ばない。    

嫌ならサービスにはならない、故にサービス残業にはならない。

そして、勘違いしている人が多いが、会社に強要されれば、対価が払われなくともサービス残業とは言わない。

サービスと言い張る所は、社員自ら望んでやっていると言い張る。
対価を払わないことについて言い逃れできるようにね。
雰囲気で攻めるから、サービス残業なのだ。

“やれ”と会社が命令すればそれは普通の業務命令であり、残業代払わなかったら普通に違法。
司法を通して払ってもらえばいい。

強要された上、対価も払わないようなところで従うのも自由だが、それは奉仕というよりただの奴隷だな。

サービス残業とは強要されるものではなく、自ら進んで行うものなのだ。
だから嫌だったら、はっきり断れ。
サービス残業をやらせようとしてるところは、業務命令を出さないからな。

業務命令出して対価支払わないことが違法だとわかってるわけだし。

嫌だったら、もしくは強要されたらサービスしなければいい。

早く帰れ!

嫌なのに帰れない奴をターゲットにして世間はそういうものだと先人たちが作り上げてきた。

それが、サービス残業。

この仕組みを作ってきたのは、良いように使いたい企業だけでなく、NOと言えない人間も加担してきたと言えよう。

サービス、つまり奉仕、社員が好きでやっていることだから会社はその気持ちを尊重していますと言っているんだぜ?

気付いてて大きな流れに逆らえない奴もいるが、全く気付かない無能もいるんだからこの文化はなくならないのかもね。

他人に奉仕することが喜びって日本人の気質なのかもね。


私には会社に奉仕する気持ちは全くないから、有無を言わさず帰る。
サービス精神が無い私には、サービス残業をする資格はない。

サービスでやっている人たちに迷惑がかかるといけないから奉仕の心が無い薄情な私は早く帰ることにしている









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私は残業が嫌い過ぎる。残業ほど無駄な時間だと思えることはない

残業を恒常的にしてる会社は無駄が多い。
早く仕事し、早く終業の方が能率は上がる。

そもそも人間は定時間(大抵のところは8時間)も集中力が持たない。
その時間内集中してまじめに仕事してるとかほざく奴がいるならそいつは大した仕事をしていない。

大した仕事もしていないから、8時間以上脳と体が持っている。

本気で頭と体を使ってたら8時間も動けないよ。

残業をほぼ毎日してるところで働く人間は、残業ありきでの仕事しかできない。
長時間を見越した、手抜き仕事で成り立つ。

残業とは本来なら終わる仕事が、特別(普段とは違う状況、普段から残業ありなら特別ではない)な要件で仕方なしにするものだ。
それを定時間を通り越して最初から延長する気で仕事してたら、そりゃペース配分考えるわな。

最初から最後までのペース配分を考えることほど無駄な作業はない。
決まった時間までにきっちり終わらすと言った考えとは真逆の性質を持つ。

「時間はたっぷりあるから」と甘えが出るからな。

だが、長時間拘束しないと損だと考える無能使用者は多い。
短時間で濃い仕事をさせて早めに解放した方が、労働者に支払う対価も少なくて済む。

労働者も短時間で解放されれば、自由な時間が増え次の労働までに英気を養える。

まあ、長時間拘束しておきながらその対価を払わない(サービス残業)で自己の利益のみしか考えない守銭奴もいるがな。
そして、そんなところで働く労働を安売りしている輩もその存在の一端を担っていると言える。

景気が悪いから多く働くといった矛盾も起きている。

おかしな話だ。

未だに無駄な残業をやっている会社は多い。
残業やっていれば“忙しい”と見られるのだろうか?

正直今の景気で、残業やっているところは自己の労働を安売りして同業や自分の首を絞めているとしか思えない。

周りが仕事しない時間に仕事しなければ、仕事が取れない様では先はない。
早期に事業を閉めることを勧めたいね。

被害者が出る前に・・・





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残業とは無駄以外の何物でもない。
まあ、私が残業嫌いだからこう思うわけだが、残業するつもりで働く奴は本当にやることが遅い。
そんなに無駄に時間をかけてもったいないと思わないのかね?自分の人生が。

まあ、時間で金額決めるこの会社システムで、時間を切り売りしてでも金が欲しいんだろうけど。

でも、こんなやり方では、資本主義の本質である資本を得られないと思うんだけどな。
ただ時間を浪費して同じ事をやってるだけ。
利益追求の気概もない。

まあ、こういう会社は経営者自身に利益追求の気概がないのだが。

それにつき合わせられる向上心のある人間はたまったものではない。

誰もが皆、くだらない仕事に無駄な時間を費やすことを良しとはしないのだ。

この世にはロクでもない企業が多い。
このろくでもない企業に限って人材不足だったりする。
人手は足りているが、“できる”人間がいないのだ。

それはそうだろう。
無駄に会社に拘束されることが立派な仕事と思っている会社に優秀な人間が来るはずもない。
来たとしてもすぐ辞めていくだろう、。

残るのは、時間を無駄に浪費しても平気な仕事以外に人生の意義を見出せない無能のみだ。
こんな会社に残ってても、志が無くなっていくだろう。


私は労働が嫌いだ(みんなそうだろうけど)

8時間の定時でも一日の3分の1だ。
それでも拘束時間が長いと感じる。
本来解放されるはずの定時間を過ぎると急激にやる気も集中力も下がる。
「早く帰りたい」としか思えなくなる。

人間はそんなに長くやる気も集中力も持たない。
持っているというならそれは、大した事をやっていない証拠だ。

8時間で十分。
ていうか長すぎる。

だから、私は残業が嫌いなのだ。











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正社員だからって何でもやらなければいけないと思っているのは昔からの経営者による洗脳だ

もう中年は毒されているから若者に期待

よくアルバイトと正社員で責任が違うとか言ってる人がいるが、何が違うのか?
アルバイトも正社員も雇われて仕事してるのだから責任は同じ。

正社員だからと言って会社の用意する仕事に責任を持つなどナンセンス。

責任を持たなければならないのは、代表取締役以下、役職についている者のみ。
社員が自ら動いて仕事をするようにしている会社は根本的に間違っている。

平社員は“言われた事だけ”をやればいい。

なぜなら、雇われている以上その仕事において取捨選択の権利がない。
経営の根幹に携わっている人間が仕事を用意し、その仕事を任せるために“雇う”わけだから、業務に責任が発生することを自主的に行う必要はない。

自主的に考え仕事をする必要はないのだ。

そもそも、それは雇い主の仕事であり、その責任も雇い主にある。
平社員に「自主的に仕事しろ」というのは経営陣の怠慢と言えよう。

役職と平社員の給与待遇が同一ならばこの意見は成り立つ。

が、現実はそうではない。

それなりの差が報酬についているのに、責任は同等か、やった本人がとるといった考えが根付いている。

経営者が“自分の”仕事を任せている以上その責任は“自分”である経営者に行くべきだ。
それが嫌ならすべて自分でやれ。


それなりに職場を渡り歩いてきたが、やはり実行者(平社員)のミスは全て実行者に行く気がする。
損失補てんは会社なのだろうが、責任は本人、謝罪も本人にさせるところが多い。

常識的に考えると、一緒に当該社員を連れて行くのは構わないが、中心となって謝罪するのは経営者だろう。
「こいつのミスですみません」とどこか他人事。
会社全体として、その長に責任があるとし、経営者自身の責任として謝罪する経営者が殆どいない。


まあ、そのミスの内容にもよるが、会社運営を左右するような重責な仕事をやらせてたとしたら雇い主の責任放棄とも言える。
こういうところは役職と平社員の区別がついていないのだ。
給与は違うのにね。

平社員は基本的に言われたことをやっているだけで、その過程において言われたことをやっていてのミスならば、責任はない。
責任があるとすればその仕事を用意した雇い主だ。

平社員が言われた仕事以外の事でミスをしたなら追及できるが、自分が用意した仕事を忠実にやっていてのミスはその仕事自体のミスと言えよう。

その責任まで実行者だからって、その実行者の所為にする雰囲気がある。

そんなだから、人が居座らない会社になる。

世にある会社は入社当時の仕事にあらゆる仕事が付け加えられていく。
普通なら、報酬も上がっていく。

しかし、報酬も上げないのにも拘らず、仕事だけは責任の重くなる仕事が付け加えられ、増えていく。
これは人手が足りないという経営陣の経営力の無さ、というミスの尻拭いをさせられている。

昔から「正社員は責任をもって仕事をしろ」と洗脳まがいの教えを流布してきたんだな。

正直与えられた報酬以外の事はしなくても良いと感じる。
でも、それを許さない、それが“おかしい”といった風潮はある。

だから、今ネットが普及した現在、このような古い体質の企業に若者は集まらない。
来たとしてもすぐに経営力の無さ、社員に行動も責任も丸投げだとすぐ気付かれる。
若者は賢いと思うわ。

このやり方が通じるのは私より上の、会社至上でしか考えられない世代だろうな。

安い給料で重い責任じゃあ余程の阿呆じゃなければ働かないよ。

しかし、30代以上の世代は「会社の言うことに従うべきで嫌ならやめろ」といった考えが正しいと思っている。
本当にロクでもない世代だよ。
こいつらが今の会社の在り方を作ってきたんだろうな。
現役でもあるから、こいつらが変えていかなければならないはずだがな、本当はね。

嫌なことも嫌と言えず、嫌だったら辞めるしかない。
自分の居場所を変えようともしない、間違ってると思っても是正しようとしない。
どうせ無理だから、みんなやってる、みんなそうだから・・・

下らない世代だったな~

こいつらが作ってきた会社も世代間ギャップで消えていくんだと思う。
若者が来ないから、後継ができない。
そしてこういう会社は、若者が来ないことに危機感を感じない。
今現在の経営にやっとで、若年者育成に気が回らない。

遅かれ早かれ消えていく運命なんだな。

そして、消えてくれた方が個人的には良い。


社員一丸となってというのは経営者の都合のいいエゴだ。
だったら、みな平等の報酬にしろよと。
所詮社員は経営者の“お手伝いさん”でしかない。

このお手伝いさんに責任を負わせること自体経営者の器の小ささが伺える。

社員で雇われている人たちには、会社にそこまで尽くすことはないと言いたいものだ。

そんなに責任持って仕事したいなら、起業するよ気が利く人間ならナ。
そうでもなく、会社に雇われていながら、ただの社員のくせに新人とかに責任持てと言ってる人間見ると滑稽でしかない。

自分で仕事を創る“経営者”にでもなっているつもりなのか?
ただの“雇われ”でしかないのにな。
まあ、経営者に洗脳されて、“経営者”の教えを広めている会社しか拠り所の無い会社の信者なんだろうけど。

賢く雇われている人間は、余計な責任も持たない、余計な仕事もしない。

出世もしたくない。

まあ、これも会社によるが、出世するより平でいる方が拘束時間と給与の関係上得な場合もある。
単純に出世したい奴は給与以外に世間に認められた“立場”が欲しい場合もある。
くだらん猿山の大将でも地位が欲しい奴は欲しいからな。

純粋に実力で地位を得たいなら自分が経営者になるだろうしね。


会社に雇われている社員である以上、会社を回している一員だとは思わないことだ。
所詮お手伝いレベルでしかない。

それは報酬が物語っている。

会社を回しているのも、責任を負うのも役職がついてからだ。

個人的にはアルバイトとさして変わらん。


会社で社員をする目的は、大した責任も負わず、そこそこの報酬でそこそこの労力を提供し働くことが嫌いな奴らが世間体を保つためのもの。
そんなところで“頑張る”事が出来るくらいなら、自分で事業を起こした方がマシだろうな。

会社で頑張って出世しても、結局誰かの下でしかない。
会社を乗っ取れば別だけど。

仕事を頑張れと雇われてる人間に言うのも、頑張って他人が用意した仕事をするのも何か違う。
頑張りに対する報酬がないのに頑張れはないだろう。
今の会社は頑張ることが損に繋がることが多い。

なにかミスすればここぞとばかりに責め立てられるが、なにかを成し得た場合に褒められることは稀だ。
もちろん報酬も変わらず、「やって当たり前」と一蹴されるだろう。

会社で働くことは必要以上に頑張らないことだ。

この風習が生産性を下げてるとも言えるがね















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