働くことは目的にはなり得ないなぜなら働くことは嫌いだからだ。
嫌いなことを目的にしていたとしたらどれだけマゾヒストなんだろうとは思うが、まあそれもアリだとも思う。
働くこと、労働とは金を得るためという目的に到達するための過程でしかない。
当の労働も目的=利益を出す為に普段の仕事を“過程”として行っている。
過程ということは、目的に辿り着くための道程でしかない。
つまり、目的に辿り着ければ過程など目的ほど重要ではないのだ。
中には到達するための過程を楽しむという人もいるかもしれない。
例えば、バイクなどは目的地に着くための過程=走っている時だろうとも言える。
ただ私の場合は目的地にたどり着くことが目的ではない場合が多い。
つまり、到達するための過程=走っている時そのものが目的であり、“バイクに乗って走る”という行為そのものが目的なのだ。
目的地にたどり着くことはおまけみたいなものだな。
まあ、これは趣味の話。
仕事に話を戻すと、仕事そのものは過程でしかない。
先ほどの趣味の話とは逆で、“仕事が生きがい”とかいう酔狂な人間だったら仕事が目的なのだろうが、私は違う。
仕事は金を得るための手段であり、金を得るという目的のための過程でしかない。
金という目的さえ達成できればどの方法、道程を選ぼうが構わない。
つまり、仕事などは何でも構わない。
“金”という目的に辿り着ければな。
だから、嫌だったら辞めるし、気に入らなくなったら無責任に切り捨てる。
仕事に責任感や、やりがいと言ったことを押し付けるのは仕事を生きがいにしている人間だろう。
ただの過程にやりがいだの何なの言ってる奴は阿呆としか思えないな。
嫌なことも強制されることが普通だと思い込まされて行動させられているこの国そのものが洗脳を施す宗教団体のようなものいや~オウムはかわいい方だね。
オウムなんて目じゃないほどの巨大な宗教団体だよ。
現に潰されたしね。
大多数の人間は朝出勤するときに生きた屍のような面構えをしている。
何が楽しくて生きてるんだこいつら?と私は勝手に思っている。
だってねぇ、本当に生気の無い人間であふれているからねぇ、朝。
まあ、思うに楽しくない“労働”に勤しんでいるんだろう。
労働をバリバリして、やりがいを持って働こうと言うのは完全にプロパガンダだろうな。
これに、嫌でも従い働いている人間の愚かな事よ。
自由意志も奪われ、嫌なことも嫌と言ったら悪とされる世界。
嫌な事でも、それが当たり前、そうあることが自然だと思い込まされている。
だからこの国は洗脳国家だと言えるのだ。
朝の人々の面構え見れば異常さが分かりそうなもんだけどね。
集団で洗脳されるとこういう行動しかできなくなのが人間なんだなとしみじみ思うわ、朝出勤する人々を見てるとね。
なぜ、そうまでして働くのか?
なぜ、過労で死ぬまで気付かないのか?
それが、ただ生きるための“過程”でしかないことなのにそこまでするのか?
洗脳されてる人間の行動はよくわからない。
分かるのは、嫌なのに生きているんだなという事だけだ。
死ねばいいのに。
過程でしかないことにやりがいなど持てるはずもない過程など目的達成のためのものでしかない。
すっ飛ばせるならすっ飛ばしたい。
例えば私はトレーニングなどは、力をつける事が目的なのだが、精神力もつけるために過程も重要視する。
キツイと思えることを“成し遂げる”ことにも意味を持たせている。
楽して動いても、“キツイ”体験は得られない。
体験していないと、キツイことに遭遇した時に体は言う事を聞かない。
“キツイことを行う”事も目的のうちなのだ、“鍛える”事のね。
しかし、仕事は違う。
仕事そのものに力を注いだことで目的である“金”には何ら影響はない。
影響があるのは経営者だけだ。
ただ雇われている人間にはメリットはない。
あることもあるが、それは経営者の裁量であって雇用側の都合ではない。
ただの過程である仕事を死ぬほどやったとしても自分に還元はされない。
無駄な事なのだ。
仕事にやりがいを持てだの責任を持てだのは雇用主のエゴでしかない。
求人募集見てるとこういう会社が多すぎる。
いつまで労働者が洗脳から目覚めないと思っているのだろうか?
やりがいがあります!!
?
バカじゃねーの?
そんなうたい文句で人来るわけないだろう。
逆に敬遠されるわ。
本当に、会社という集団を束ねているのかと思う。
所詮中途採用をするところはその程度だという事なのか?
集客の仕方から学べばと、他人事ながら思うわ。
こんな、阿呆な経営しかできない会社で働くことにやりがいって・・・
笑うしかないわ。
目的の金さえ、“稼げます”と書いておきながら、計算すると時給1000円のところが非常に多い。
稀に1000円以下の狂ったところもあるが・・・
稼げます=長時間労働できますだもんな。
これで今どき人が集まるのかね?
まあ、労働とは金を得るのが目的だから、やりがいとかいうわけ分からんものよりは敢えて騙されるバカは多いだろうな。
いずれにしろ、働きたくなくなるわな。
もう雇用される時代も終わりのような気がする。
昔のように経済成長中なら、歯車でも自分が国を立て直す一役を買うと思えるかもしれないが、今はねぇ・・・
やりがいなんて、持てるはずもない。
持っているとしたら日本の亡霊に洗脳されてるよ。
仕事は過程、それ以上でもそれ以下でもない過程にやりがいを持つって無能。
会社だって無駄を省き、少ない労力で利益を上げればそれに越したことはない。
必ずしも過程を経なければ目的に辿り着けないわけではない。
過程を省略できるならした方が目的達成の近道になる。
それの積み重ねで、省けるものを省いていけばその時間分事業拡大に力を注げる。
過程自体にやりがいを求めることは、仕事全般を考えた時に矛盾している。
会社は仕事をすることが目的ではない。
仕事をした利益を得ることが目的だ。
それが真に理解していないから、“過程”如きにやりがいを持たそうとする会社が多い。
なぜ、過程である仕事如きに一喜一憂することを強要するのか?
仕事は機械のように淡々と熟すべき。
失敗しようが、なにかを成し遂げようが心に波風を立たせるべきではない。
基本同じことの繰り返しだからな。
なんかよく考えると、これが生きがいじゃあ脳も退化するな。
こんな面白くない他人の事など他にはないくらいなのにね。
勘違いしている人間多いが、雇用されている以上自分の仕事などない。
自分に与えられた他人の仕事だからな。
これを好きでやってるならマゾヒストか根っからの奴隷だろうな。
まあ、それも人それぞれだから否定はしない。
正し、それに他人を巻き込まなければ、な。
私は仕事も雇用“契約”である以上、こちらの意にそぐわないならいつでも切り捨てる。
なぜ人々は、文句を言いながらもその仕事を辞めないのか理解に苦しむ。
まあ、「嫌よ嫌よも好きのうち」というくらいだから、みんな過程に過ぎない仕事が大好きなんだろうけどね。
奴隷でいることに快感を得ているのかも(笑
しかし、私にとっては生きるために得る金のための過程にしか過ぎない。
体に悪い、危険など金を得るための手段として妥当ではないと判断すれば、すぐに辞める。
相手の都合など知ったことではない。
ただの過程である仕事で心身に悪影響を及ぼすようなら、それはそれ自体が目的になってしまってもおかしくない。
違うだろ?
生きるために金を得る。
金を得るために働く。
働くために身を削る。
あれ?
気付くと身を削りすぎて無くなってた・・・
もう生きる必要が無くなってた・・・
ってことになりかねないのでは?
おわりに労働は過程、それを目的にしたら生を犠牲にするだろう。
本当に好きで労働している人間はいい。
好きにすればいい。
でも、大抵の人間は嫌だけど仕方なく働いている事だろう。
少なくとも私の周りはそう見える(見えるだけかもしれんがね)
労働が少しでも嫌だと思ったら、自分の人生の方を秤にかけろ。
生きる為に金を得る手段で生そのものを失ってはアホらしい。
仕事を辞めるのがそんなに重いことなのだろうか?
過程でしかない仕事などいくらでもあるのに。
ロクなところはないが・・・
金を得る手段も、いろいろある。
人生を犠牲にすることはないのだ。
だから、労働如きに責任感ややりがいを押し付ける会社は信用ならん。
物事の本質を覆い隠し他人を操ろうとしている魂胆が見え透いているからな。
そんなところに義理も立てないし、技能も提供しない。
テキトーにやろうと思われる。
使用者も労働者もこのように心理戦を繰り広げる。
何とも無能で不毛。
やはり働きたくなくなる。
この体質が変わらない限り生産性も上がらん。
まあ、使用者がただの過程にやりがいを押し付けるのが先か、労働者が怠けるのが先かわからない以上どちらがとは言えないが。
私が言えるのは、過程は過程でしかなく目的にはなり得ない。
生きる為に働くわけではない。
生きるための金を得る手っ取り早い事が労働なだけだ。
生きる事、金を得るのが目的であり、その手段でしかない労働は目的にはならないってことだ。
これが分からない人間の下では働きたくない。
人間が身を擲ってまで尽くすということは、その人に心底惚れ込んでいる事。
そしてその惚れ込んだ相手は信頼を裏切らないような人柄であり、己との間柄であること。
人を動かす事の難しさよ。
浅はかな会社程度の人間関係で責任を持てなどと言っているのは人間なのに人間を理解していない愚か者。
労働者は使用者の奴隷ではない。
責任を持たせて、人間を“使う”なら、人間を知ることから始めよと言いたいわ。
仕事を重要視する人間が多い。
乱暴な話、生きていくのに必要な金があるなら、もう目的は達成しているから働く必要はない。
過程は過程、目的にはなり得ないのだ