日本の会社は実力主義にするべき
何故劣る人間も優れた人間も同じ給料なのか
まあ、中には実力主義の会社も在るだろうが見た事は無い。
いくら実力があっても、同じ時間働けば同じ給料。
仕事内容による(その会社内での)差は無い。
昔、何かで見たが志の高い人と低い人が居れば、低い方へと落ち着く。
高い方へは上らない。
低い方へと均一化する。
低い方が高い方へと上る事もあるだろう。
だが、これは相当なエネルギーを要する。
高い方から低い方へ流れていくのは自然な事なのだ。
現に今まで見てきた社内は高い志をもって入社しても、低い志にやる気を削がれ辞めるか諦観だろう。
志を高くもっても低い者との差別化が図られない。
これでは、低い方に合わせようと思うのが人間心理ではなかろうか?
どれだけ頑張ろうが、頑張らない奴と同じ評価、対価。
過ごした時間での一律化。
これでは実力ある人間も、その実力を抑えようとするだろう。
これは経験したことある人は沢山居る事だろう。
そして、辞めて他の会社へ行っても同じ状況。
何時しか諦観し、周りの低さに合わせていく。
これでは会社の成長はありえない。
この国は資本主義をうたいながらも、最もポピュラーなサラリーマンでは頑張りが反映されない。
実力ではなく、いかに時間を捧げるかではなかろうか?
管理職についてる人間を見てると、実力があるとは思えない人間ばかりだ。
実力がない分、2時間3時間、それ以上の時間超過をし、取り繕っている。
まあ、長時間労働すれば作業量はそれなりに多いだろうが効率が悪い。
それだけやっても能力者に毛が生えたようなものしかこなせていない。
これを見抜けない人間多過ぎる。
「こんなに長く働いて偉い」と皆思う。
なぜこうも中身の無い長時間労働が評価されるのかは、未だに分からない。
そして、短時間で作業を多くこなしても褒められる事は無い。
切り詰めた分作業量はプラスされていく。
結果、誰よりも多くの作業をすることになる。
これは、いい事だと思う。
頑張って多くの作業をこなし、会社に貢献してると言える。
だが、いけない事は給料は絶対に増える事は無い事。
作業内容ではない。
作業時間なのだ。
どれだけ他より作業量を増やそうが、時間が同じでは同じなのだ。
つまり、作業が遅い方が相対的に得をしている事になる。
これでは、先に述べたとおり低い方(仕事が遅い)へ向かっていくのは当然と言える。
どれだけ早く仕事をし量をこなしても、会社が決める時間内では対価は変わらない。
だったら、労力の無駄だと普通の人なら考える。
こうして、低い方への均一化が進み、結果無能な人間が残る。
このような優秀な人間が淘汰される奇妙な事が起きているのが日本の会社なのだ。
なぜ実力で対価を決めないところが多いのかとも思うが、作業内容の実態を把握する事は不可能。
作業内容は決まっているから一律なのだろう。
しかし、付随する作業や、無くてはならないが利益に直接結びつかない作業もある。
これらを、誰がやってるとかいちいち把握は出来ない。
でもこんな事ですら差はある。
これらを加味せず、一律“同じ業務”としている。
これでは、やらない人間が得をする仕組みになっていると言えよう。
同じ給料なら、いかに作業をやらないかで競い合う。
これが、大半の会社だ。
会社って利益を生み出すために集う営利組織のはず。
正当な評価、差別が行われないからこうなる。
正直こんな集まりだったら無くなった方が良いと思う。
ただの足の引っ張り合いではないか。
より良くしようと実力を惜しみなく使う人間に対しては、それに見合った対価を与えないと去っていくだろうに。
時間で一律ではなく実力主義だったら皆もっと頑張れると思うんだがね。
まあ、日本は長年この体制でやってきてるから早々変わらないだろうが、
変えていく転機に来ているんではないか?とも思う。
だってこのままじゃ優秀な人材集まらないよこの会社・・・
って会社おおすぎィ
まあ、中には実力主義の会社も在るだろうが見た事は無い。
いくら実力があっても、同じ時間働けば同じ給料。
仕事内容による(その会社内での)差は無い。
昔、何かで見たが志の高い人と低い人が居れば、低い方へと落ち着く。
高い方へは上らない。
低い方へと均一化する。
低い方が高い方へと上る事もあるだろう。
だが、これは相当なエネルギーを要する。
高い方から低い方へ流れていくのは自然な事なのだ。
現に今まで見てきた社内は高い志をもって入社しても、低い志にやる気を削がれ辞めるか諦観だろう。
志を高くもっても低い者との差別化が図られない。
これでは、低い方に合わせようと思うのが人間心理ではなかろうか?
どれだけ頑張ろうが、頑張らない奴と同じ評価、対価。
過ごした時間での一律化。
これでは実力ある人間も、その実力を抑えようとするだろう。
これは経験したことある人は沢山居る事だろう。
そして、辞めて他の会社へ行っても同じ状況。
何時しか諦観し、周りの低さに合わせていく。
これでは会社の成長はありえない。
この国は資本主義をうたいながらも、最もポピュラーなサラリーマンでは頑張りが反映されない。
実力ではなく、いかに時間を捧げるかではなかろうか?
管理職についてる人間を見てると、実力があるとは思えない人間ばかりだ。
実力がない分、2時間3時間、それ以上の時間超過をし、取り繕っている。
まあ、長時間労働すれば作業量はそれなりに多いだろうが効率が悪い。
それだけやっても能力者に毛が生えたようなものしかこなせていない。
これを見抜けない人間多過ぎる。
「こんなに長く働いて偉い」と皆思う。
なぜこうも中身の無い長時間労働が評価されるのかは、未だに分からない。
そして、短時間で作業を多くこなしても褒められる事は無い。
切り詰めた分作業量はプラスされていく。
結果、誰よりも多くの作業をすることになる。
これは、いい事だと思う。
頑張って多くの作業をこなし、会社に貢献してると言える。
だが、いけない事は給料は絶対に増える事は無い事。
作業内容ではない。
作業時間なのだ。
どれだけ他より作業量を増やそうが、時間が同じでは同じなのだ。
つまり、作業が遅い方が相対的に得をしている事になる。
これでは、先に述べたとおり低い方(仕事が遅い)へ向かっていくのは当然と言える。
どれだけ早く仕事をし量をこなしても、会社が決める時間内では対価は変わらない。
だったら、労力の無駄だと普通の人なら考える。
こうして、低い方への均一化が進み、結果無能な人間が残る。
このような優秀な人間が淘汰される奇妙な事が起きているのが日本の会社なのだ。
なぜ実力で対価を決めないところが多いのかとも思うが、作業内容の実態を把握する事は不可能。
作業内容は決まっているから一律なのだろう。
しかし、付随する作業や、無くてはならないが利益に直接結びつかない作業もある。
これらを、誰がやってるとかいちいち把握は出来ない。
でもこんな事ですら差はある。
これらを加味せず、一律“同じ業務”としている。
これでは、やらない人間が得をする仕組みになっていると言えよう。
同じ給料なら、いかに作業をやらないかで競い合う。
これが、大半の会社だ。
会社って利益を生み出すために集う営利組織のはず。
正当な評価、差別が行われないからこうなる。
正直こんな集まりだったら無くなった方が良いと思う。
ただの足の引っ張り合いではないか。
より良くしようと実力を惜しみなく使う人間に対しては、それに見合った対価を与えないと去っていくだろうに。
時間で一律ではなく実力主義だったら皆もっと頑張れると思うんだがね。
まあ、日本は長年この体制でやってきてるから早々変わらないだろうが、
変えていく転機に来ているんではないか?とも思う。
だってこのままじゃ優秀な人材集まらないよこの会社・・・
って会社おおすぎィ

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