生命はなにかによって存続させられているのでは?

生命のリレー

子孫繁栄のために生命は存在している。
生命のリレーを繋げ、別の存在“子”へと。

それを延々繰り返し、今に至っていると考えられている。

その先に何があるのか?
生命を紡いでいった先には何があって、何を得るのか?

まあ、最終的には“滅”だろうけど。

そう考えると、なぜこのようなシステムで生命はリレーしているのか?
そうして命を続けた先に我々が想像もしないような出来事が訪れたりして。


大いなる意思によりそうさせられている

自由意志は存在せず、なにかによって“そうさせられて”いる。

そんな気がする

自分の遺伝子を残す為に躍起になる生物。
他の生物を滅ぼしてまでも生き残ろうとする。
自分、もしくは種族が最優先。

そうやって、生物は競い合い生き残りをかけて戦ってきた。

なにかに憑りつかれている様に。

他を滅ぼし、種を存続させることにを何の意味があるのか?

他を滅ぼし、やがては孤独になった己をも滅ぼす。
その先には何があるのか?

所詮操られているだけの存在には解らないのだろう。


この世に生まれ出で、成長しリビドーのまま子孫を残す。
この世に生まれたらそうあるべきでそうすべきと教われ、それに従う。

なぜそうするのかを教え受け継ぐ者はいない。

ただ、そうすべきとしか教えない。

それはそうだろう。
教えられるわけもない。
なぜなら、そこに自由意志はないから。

そうすべきと、なにかによって思い込まされている。
生まれ、子を産み育て、またその子が子を産む。
これを、プログラムされた機械のように延々と紡いできた。

その意味も理由も結果もわからないまま。
それらをプログラムはされていないからな。

生命すべては、遺伝子の奴隷でしかない。
漠然と子孫繁栄を目的に生命をリレーしてきた。
具体的な説明も出来ないまま、リビドーのままにね。


そう考える個体もまた計算のうちなのだろうか?
大いなる“なにか”によっては。

私の目の前に「子供かわいい」と惚気る人間がいる。

子供が可愛いと思えない私はこう思う。

やはり、なにかによって“かわいい”と思い込まされて、育てさせられているのでは?
そうやって生命のリレーをさせられているのでは?と冷めた眼差しで受け答える。

子供に惚気る人間も、そう考える私も所詮決められた考えしか持たず、それだけしかプログラミングされていない操り人形なのかも。

と、思いながらその光景を見ている自分がいる


















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ゴリラ射殺、アメリカの動物園で子供転落

酷い

殺すことはなかったのでは?

転落した子供は4歳児で、引きずり回されてたらしいが、それでも酷い。

そもそも転落する方が悪い。
動物には悪意無く物を壊す習性があるのは分かっている事だろう。

それなのに折に閉じ込め見世物にした挙句、危険管理の甘さで人間を殺し“そう”だからって射殺って・・・

ムカつくわ・・・

だから人間は気に入らん。

そんな状況でも命を秤にかけない。
人間最優先。

もしかしたら、どっちも助かったかもしれないのに確実に同種を生かすためためらいもなく殺す。

“苦渋の決断”とは笑わせる。

所詮分かり合えない。
このゴリラの気持ちなど理解できない。

引きずり回した事は、攻撃的だったのか遊んでるだけなのか。

なんかいじめに似ている。

本人に攻撃する気はなくても力の差で相手はダメージを受ける。
その行為に意図的な攻撃の意志があるかないかに拘わらず、相手がダメージを受け“やられた”と思えばいじめになる、みたいな。


引きずり回しただけで、攻撃されてたわけではないから様子見してもよかったのでは?

時間がかかると命に関わるとし、迅速に射殺。

危険性が分かっている知能ある人間の子供は助かった。
ただ人間のためだけの自由を奪われ飼い繋がれ、知能ある人間のミスで飛び込んだものに興味を持った無垢で何も知らない生き物は、理不尽に命を奪われる。
なぜだと考える間もなく、何も理解しないまま。

正直子供が助かって良かったねというより、ゴリラが間抜けのために殺されたという後味悪いニュースだわな。

ゴリラって人間に似てるから、動物好きの私でもあまりかわいいとは思わないが、これは可哀想だわ。

せめて苦しまなかったと思いたい






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悪夢だけど悪夢と認識せず、夢の中で恐怖や焦りを感じることはない

悪夢ってなんだ?

悪夢を見たことはない。
いや、悪夢を感じないってところか?

怖い夢は見る。
でも、怖いと思うのは起きて思い返すとといった場合。
夢の中ではそれを怖いと思ってないんだよな。

なんか戦争行ってて戦死したり、高いところから落ちたり、なにか得体の知れないものと戦ったり。

でも怖くない。
首が取れようが、襲われようが怖くない。

大抵得体の知れないものからは逃げない。
戦ってスプラッタにされるな。
でも怖いと思わない。

よく汗だくで飛び起きる悪夢を見た時の典型的描写があるが、あんなのなったことがない。

クリーチャー共と戦えて面白かったとも思える。
高いところから落ちるのも爽快。

なにかに追われる?

追われるより挑む方が多いな。
それで殺されるわけだが・・・

でも、夢の中では夢だと認識できない。
どんなに怖い夢でもそれが普通なのだ。
襲われて死のうがね。

そして、起きてから「ああ、怖い夢みてたなぁ」としみじみ思うものだ。

悪夢で目が覚めるとはどういった状態なのだろう?
夢の中ではどうあったって冷静だぞ?
どんな過酷な状況でもそれが普通なんだもん、夢の中では。

悪夢だと感じるのは現実の感覚がリンクしているとしか思えない。

平和な世界(現実)を感じているから、夢の中の変な世界の変な状況に恐怖を覚えるのではなかろうか?

でも、明晰夢が見れない限り現実の感覚を維持できない。
少なくとも私はそうだ。

夢の中ではその変な世界の変な状況が普通で、自分が生きる唯一の世界。
その世界においての事象は夢の中ではすべて現実。
怖いことなど何もないのだ。

夢の中で起きる現実をすべて受け入れそこで普通に生きている。
変な学校に行ったり、変な会社に行ったり。
変なものが闊歩する街、変な建物。
人間じゃないのにその世界では“人間”と認識される変な生き物。

友人も変な生き物なのに、それが“友人”として認識している。

とにかく変な世界なのが夢の世界。
おそらく現実の感情など持ち合わせていないのだろうな、私の場合は。



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夢の中でどんな事にもどんな状況にも恐怖を感じず遣って退ける。
恐怖とは死を感じるから起きる感情だと思われ、夢の世界では生死などそれほど重要ではないから、恐怖という感情を抱かないのかもね。

夢の中ではかなり戦死してる。
いろんなものと戦って・・・

大体モンスターだな。
ピッコロ大魔王とか・・・

バイクでも空飛んだり、突っ込んでスクラップになったり。

地球が終わる直前を見たり。

超楽しい。


今まで恐怖で目が覚めたことはない。

いや、恐怖は感じてるのかもしれないが飛び起きるほどではないという事なのかも。

つまり、悪夢というものは幻想でしかない。
夢の中では悪夢は常識、普通の事と認識される。
つまり、悪夢足り得ない。

“悪夢”という概念は己が恐怖を抱いている事を夢で見ているだけなのかも。
大して怖いものがない人間は悪夢を見ない、もしくは悪夢を悪夢と感じない。

悪夢とは見る人が感じるもの。
人によっては怖い事柄も、人によって怖くない。

人それぞれ怖いものの感じ方は違う。

悪夢を見る人もこの世にはいるのだな、という事か。

夢の世界ってどんな状況でも楽しいけどな。
だから、眠ることも好きだし。


そもそも悪夢というなら、この現実世界の方が“悪夢”なのかも








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自分らしくという事は仕組まれた運命なのではと疑う事ができる

自分らしさとは一体なんなのか

人間は少なからず自分はこういうものだという認識を持っている。
いろいろな場面で、自分はこうあるべきという根幹に基づき人生の選択をしている。
そこに自分らしさというものが蓄積され自分が出来上がって来る。

それは本当に自分の意志なのか?

自分がこうあるべきだという事を、何かに刷り込まれその通りに行動しているに過ぎないのだとしたら?

なにか別の意志により、生まれてから死ぬまでの行動が自分の意志によって決定していると思い込まされ、そう行動させられているとしたら?

予め決められた運命と言われるものはあるのかもしれない。
自分らしくあろうと行動することが、何かに操られている。

自分ならこう考え、こうするこう行動する。
こうするのは自分らしくない、こうしようとか。

本当にこれらは自分の意志で選び取っているのだろうか。

自分らしく動けとプログラムされているのが、運命と呼ばれるものなのではないか。

なにかを成しえる人間はあらかじめプログラムされた意思によってなにかを成しえている。
運命という決められたプログラムによって。

自分もこの行動が自分らしい、この行動は自分らしくないといった判断で取捨選択をしてきたが、これらも“自分なら”という考えに基づいたもの。
これ自体がなにかに仕込まれた行動原理だとしたら?

自分らしくとはいったい何なのか?

わからなくなる。

なにかをしようと思ったとき、深く考えずに体が動く時がある。
体は自分が今までにしてきた行動を学んでいる。

現に無意識に今日は回る必要のない客周りをしていたりすることがある。
経験や、習慣から体は勝手に動く。
そこに意志は介入しない。

自分らしさとは、今までの経験からくる記憶とも言える。
自分が自分らしく生きてきたことを体は覚えて勝手に動く。

いや、脳が筋肉を動かしているのか?
だが、“それをしよう”とは思っていない。

思っていないことを脳が勝手に筋肉に指令を出して、そう“行動させた”なら、やはり体が勝手に動いたってことなんだろう。

自分らしさというのも勝手に、無意識に出るもの。
特定の判断に迫られたときは、自分ならどうするか?と思うかもしれないが、あまり日常自分らしく動こうとは思わない。

普段の何気ない行動は無意識下の自分らしさ。
自分らしく生きてきたことにより記憶されたものが無意識に出る。

普段の行動が“無意識のプログラミング”なのかもしれない。


自分らしく動いているつもりでも、自分らしく動くことを自分以外のなにかにプログラムされていて、そう動かされている。

そう動かされ続け、そのなにかの意図の通り体には次々とプログラミングされていく。

そうやってプログラム通り生き続ける事が“運命”というものが出来上がる。


よくわからんけど (・3・)~








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退屈という概念を持つということは時間の有効活用とは程遠い

退屈というのは子供の感覚

そういえば、大人になってから退屈だと思ったことはないな。

子供の頃は一人でかつ、やることがないと退屈でつまらない、だから遊びに行こうとか思ったもんだ。

しかし大人になった現在、一人でいようがやる事なかろうが退屈だと感じない。
むしろそんな状況が好きでもある。
何もすることがない=何もしなくていいだからな。

子供の頃は時間を持て余し、暇な時間を退屈と感じていた。

退屈という感覚は子供特有なものだと言える。

もし、大人になっても退屈だと感じることがあるのなら、それは子供のまま成長していないとすら思える。

退屈。
することがなく時間を持て余す、今していることに飽きるとかか?
まあ、確かに仕事を朝から晩までやっていれば“退屈”なのかもしれない。

でも仕事は仕事。
したくないのにしなければならないことに対し退屈っていうのも変だな。

やはり、することがなく時間を持て余していることが“退屈”って感じだな。

そうなると、やはり退屈を感じたことはないな。

することがなくても、することがない状態を飽きることはない。
むしろ、そんな時間こそ貴重。
子供の頃はこの貴重さが分からず時間を無駄にしてきたな~と思う。

大人になってからも退屈だと言っている人は本当に幼稚な考えだ。
それで、わざわざその退屈を紛らわす為に無理やりすることを探し、時間を埋める。

退屈だと思う事自体人生を無駄にしていると言えよう。

退屈とは、成長途中の子供の感覚だよ。
何をするのが今の時点でベストなのかが分からないのだからな。

退屈だから何かするのではなく、目的をもって何もしないというのもアリだな。
目的を持たず何もしないこと自体が目的にもなるしね。

何もすることがなく、何もしてないから退屈と言うのは子供の発想なのだ。

暇を持て余す。
そもそも暇を持て余すことはない。
暇になることが目的だったるりするし。

暇を持て余すのも子供の所業。

大人になると暇だと思わない。
子供が暇だと思う事は大人にとっては貴重な時間だ。

その時間を作るために行動することもある。

そういうと、“退屈”だけでなく“暇”とも思ったことないな。
今生きているこの瞬間を意識すれば、暇だとは思う事はない。

まあ、はたから見れば「あいつ何もしてなくて暇そうだな」と思われるかもしれない。
だが、少なくとも自分は暇だとは思っていない。

その暇だと思われるような時間すら自分にとっては忙しい時間と等価値なのだから。

暇だ、退屈だと思う事はそれだけ人生に無駄な時間があるという事だな。

いい大人にもなって時間の使い方も分からないのはどうかと思う。
あえて何もすることがない、何もしないことを受け入れるのも一つの手だ。
無理に何かしようとするのは時間の有効利用だと勘違いしているに過ぎない。

時間の有効利用とは人それぞれだ。
忙しく立ち回る事が時間の有効活用だとする人、ゴロゴロ寝るだけでも時間の有効活用とする人もいる。
何かをわざわざ探し、することだけが時間の有効活用ではない。
自然の成り行きに身を任せることも時間の有効活用にもなり得る。

自身にとって、有用なことは人により違うのだ。

暇そうだとか、退屈そうだとかは他人が決めることではないのだ。

そう自分の尺度で他人の感情を決めることは幼稚な子供としか言いようがない。
大人は自分自身で何が重要かを人生の一瞬一瞬において決めているのだ。



退屈だと感じる間がないのが大人

子供と違い、人生に責任を持ち、自分で切り開いていく大人は誰にも流されない。
確固たる自我を持っている。

退屈だと感じる暇もなく、自分のすべきことは自分自身で決めていく。

だから、暇なら付き合えという我が友は放っておいてひと眠りすることにする






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車のクラクションって余計なトラブル生む装置かも

車のクラクションって要らないと思うんだが

な~んかちょっと割り込まれただけ、いや厳密には入れたくなくて詰めてたところに強引に入った感じか。

くだらねーなぁ。

そんなに入れたくないのか?どうせ混んでるのに。
しかも入られたからって、腹いせにクラクション鳴らす。
しかもしつこく。

まあ、強引に入った方もだが、あからさまに詰めて入れないようにするのもどうかしている。
それじゃあ腹立って、強引に入って来る奴もいるだろ?中には。

で、お互い腹立っているところで、クラクションが開戦の合図ってところか。


あれは、鳴らされると腹が立つ。
現にクラクションでトラブル起きるのよく見るし、要らないよな。

まあ、動物とかを音でどかしたり、見てない奴に気付かせるためだろうけど。
でも世の中文句のため、喧嘩売るために使う奴が多い。

特にダンプはマジうるせー。

確かに危ない思いをしてムカつくから鳴らしたい気持ちも分かるが、鳴らせる余裕があるんだから結果として事なきを得ているわけだ。
そのうえで鳴らしてるんだったら、やはり喧嘩売ってる様にしか思えない。

危険な行為(強引に割り込むとか、止まれも止まらず出てくるとか)や、無能な行為(他の車の挙動も考えず入り口塞ぐとか、交差点で詰まるとか)する奴に腹いせに鳴らしたところで学ばない。
それどころか、逆切れされたりする。

分かってて横柄な運転する奴もいるし。

クラクションは鳴らしても仕方がない。
余計なトラブルを招くことの方が多い気がするのだが・・・

ちょっとしたことですぐクラクション鳴らす奴とかは、それが危険を招く行為ということに気づきもしないアホな奴が多い。
自分の腹いせに使うぐらいならやはり要らないよなぁ。



カッコつけてるんだか何だか知らんがうるさいのつけてる奴迷惑

あれなんなの?
音量でかくするってことは威嚇だろ?
そんな用途じゃないのにな。

特にダンプ。

あれ鳴らされると、マジムカつくわ。
まあ、普通のクラクションも鳴らされると腹立つが、ダンプは更にだね。
温厚な私でさえ腹が立つ。

が、わざわざ止まって文句言っても不毛。
車から降りるなんて論外。

無駄にクラクション鳴らす奴は徹底スルーがおススメだね。

若い奴はあれでマジ道路に真ん中で喧嘩になったりするが、無駄な労力としか思えない。

うるさくてムカつく気持ちも分かる。

自分が鳴らされてなくてもうるせーし。
うるさすぎるクラクションつけてる車は違反にすりゃいいのにな。



広い心って大事だよな

世の中ムカつく運転する車が多いが、大抵無能な運転。
それが分かっていれば結構躱せる。

ムカついたからと言って文句を言った(クラクション鳴らす)ところで、相手は何にも思わない。
ただ自分に対するヘイトを生み出すだけだ。

自分も常に完璧ではないはずだ。
鳴らされた方も、「やっちまった」って分かってる時もある。
そこへ、しつこくうるさくクラクション鳴らされると自分が悪くても、「悪いことしたな」というより「なんだこのヤロー」となる。

こういった人間心理が分かってるくせに、喧嘩売ってる奴は周囲に戦火を燃え広がらせる奴なんだろうなとは思う。

それに乗っかって腹立ってたら自分の負けだわな。

それで、お互い車止めて言い合いしてる奴ら見てると醜い。
自分もああだったのだろうかと恥ずかしくなる。

確かに割り込まれたり、止まれも止まらず出てきたりされると腹が立つが、だからと言って威圧的にクラクション鳴らしては、トラブルを生むのは自分の方になってしまうだろう。

そのような無能に“トラブルを起こす”労力を使うのはもったいない。
広い心を持つことは大事だなと思う。
なかなか当事者になってるとそんな余裕がないかもしれないが。



クラクションというよりそれを使う自制心の無い奴が悪い

クラクションないのも困るな。
道路の真ん中に居座る猫とかどかすのに使ったわ(どかなかったけど)

あとは、譲ってもらったときとかか?

それ以外は使わないけど。

そもそも知らせなければいけない危険などそうそうない。
にも拘わらず町中に鳴り響くクラクションの音。
やはり、下手な運転者が多いんだな。

あれを鳴らすほど腹立つ危険に遭わない。
常に気を配れば無能な運転者の挙動も分かる。

ちょっとしたことで鳴らすということは、自分の運転が下手だと言っているようなもの。

不意を突かれるから気に入らない、自分の予測にないことをされるから気に入らない。
これらは、自分の能力が低いから起こりうること。

車という走る凶器を扱う以上、不意を作らずどんなことにも即対応。

世界に遍在する人間は同一ではない。
自分の予想とかけ離れた行動をするやつもいる。
それすらも予測する。

車の運転をするなら当たり前に常に行っている事。

これ位を心掛ければ滅多に腹立たないけどな。

割り込んで済ましてる奴に噛みついても仕方ないだろう。



クラクションやっぱり必要か

現実に歩行者とかで車に気付かない奴とかいるもんな。
耳も退化してるのか?現代人は?って奴多過ぎ。

そんなアホ共に、ちょんと押せば音出るクラクション便利。

無くなったら窓開けて声出さなけりゃならなくなるな。

世の中見てると喧嘩売るのにしか使ってないから要らないとか思うが、まともに使ってる奴もいるしな。

結局道路はわけのわからん他人と共有しているということを真に理解していない無能が多いということだな。
直進は絶対優先とか思ってるからな無能は。
ルール云々より、事故を回避しようとする安全優先なのにな。


個人的にはクラクションは、別に無くても困らない。
滅多に使わないし。

無能運転者が自己中な考えで使っていると無くてもいいかなと思う。

世に蔓延る無能運転者にはその程度の使い方しかできないだろうし












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便利になるということはやる事が無くなる事

私は大して便利に思えない世界だな

なんでもでもかんでも便利にしていくのに何となく危機感を覚える。

便利になるということは、怠けるためとも言える。
自分ができない、もしくはやりたくないことをやらなくてもいいようにするって事だろ。

そのやらなくて済むようになったことにより、空いた時間に何かしよう。
でも、その何かも如何にやらなくて済むように考える。

つまり“便利”にする。

これの繰り返し。

何もやらなくて済む、やることがなくなる。
そうなると、人間一人にできることなどたかが知れてくる。
存在することすらやらなくて済むようになるのではないか。

自らの存在理由までをも、その怠惰な性質の所為で失くしていっている様に思える。

人々はどんどん便利になって喜んでいるのだろうか?
私はそうでもない。

身近なところで、車がAT主流になったことが残念。
トラックすらそうなってきてるし。

アクセルブレーキだけで、シフトレバーとクラッチペダルがなくなって便利になったと思える人は今の世の中も便利で良いんだろうな。

私はAT車はなんか物足りない。

これに限らず、やらなくても済むようなことは増えた。
そんなに何でも自動がいいのかね。

無理して利便性を求めるように新商品を開発して消費していく社会は止まらないんだろうな。
大して壊れてもいないものを廃棄して新しいもの新しいものと買わせる。
そんな感じがするわ。

無駄に消費して無駄に利便性を求めることは、人間が出来ることを奪っていく。

現状でも要らない仕事している企業は多い。
特に中小。

そんな世の中、自分の存在理由の無さを否定するかのように経営している企業は確かにある。

便利になる。
それは何かの存在理由を奪う事。

そんな風に考えることもなく、いろいろなものを開発して喜んでいる人間を見ていると、何か見えざる力でそうさせられてる様にも見えてくる不思議。


人間が知恵を得て、自分たちの便利を求めた末に、自らの代行者を創る事は、その代行者が自らを生み出させるために今までの営みで創造主の存在理由を奪ってきた。

それを最先端で生み出す者ほどそれに気付かない。

見えざる力に洗脳されている。


と、想像してみる。

まあ、そんなに長くは生きていないだろうからどうでもいいけどな。
なんか年とった所為か、良い未来が想像できん。

何事も程よいところが良いんだよと思うが、人間は探求心、好奇心の生き物だからな。
千年くらい生きてどうなるか見てみたい気もするわな






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高速道路を二輪二ケツはすごいわ

高速道路二輪二ケツで走ってる奴結構いるよな。
怖くてできない。
って言うか高速じゃなくても二ケツはしたくないな。

バイクは自分だけで完結するものだと思う。
車に比べてちょっとした事故でもやばそう。
私は平気だが、同乗者が死にそう。

まあ、他人のケツも乗りたくはないけどね。

そんな責任持てない。

それゆえ高速道路をタンデムで走ってる奴はクレイジーだな。

バイクって危ない。
そんなのわかってるって奴ほどわかってない。

車のフロントガラスの感触。
アスファルトの熱、硬さ。

しかもなかなか止まらず滑る。
下手に踏ん張るとグローブやブーツ穴あく

自分のバイクのタンクに急所を打つことも・・

やってみないとわからないものなのかもね。
受け身も取れなきゃ簡単に骨折るだろうし、肉も削げる。

本当に危ない乗り物だと思うよ。
だから他人を関わらせたくない。
二人乗りはなるべくしたくない。

だから女房に反対される人たちの気持ちはわかる。
だって軽い気持ちで乗ってみたいとかいう奴は事故った時の悲惨さを肌で感じたことない奴らばかりだ。

いいところばかりしか見ておらず、もしもの時を考えてないから反対されるんだろう。
どれだけ注意しようが、大事故の可能性は乗る分だけ増すのだ。

私が女房だったら確かに反対するわ。
大事な人には乗せたくない乗り物だ。

他人に勧められない趣味だわな。

にもかかわらず、高速二ケツで走ってる奴らがいる。
夫婦っぽいのが多い。

死ぬ時も一緒とか思っているのだろうか?
まあ、そんな深くは考えていないだろうけど。

あれ見るたびに思う。

こけたらどうなるんだろう、と。

自分が一人で勝手に死ぬのは構わないが、女房道連れにはしたくないな。

かなりイカれた走りしてきたけど高速二ケツだけはできないな










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人間の内面を具現化

七つの大罪って人間の内面を具現化し、悪しきものとして人間とは別のものと言いたいんだろうか?

それを含めて人間なのに。

でも確かにこれらは、行き過ぎると罰として自分に返ってくる気がする。
罪と言えば罪なのかも。




傲慢

身を滅ぼす。
傲慢な振る舞いは、敵を作り安住を許さない。

悪魔の如く人間を屠れるならば傲慢もいいだろう。
だが、弱い存在でも数多になれば悪魔を殺すこともあるだろう。

傲慢でいる限り敵は無尽蔵にやって来る。

所詮人間など高慢な振る舞いなど許されない。



嫉妬

嫉妬とは妬み嫉み。
嫉妬するとは他と比較すること。

他がなければ嫉妬もできない。

他を認識し、己より恵まれた事を羨み、己より優れた他と比べる。

これもまた身を滅ぼす。

他と比較し、羨んだところで己は他ではない。
己の心が貧しく惨めになるだけだろう。

優れた事象に囲まれている様に見えるだけだ。

己と他は違うもの。
理解できない。

そんなものを羨んだところで不毛でしかない。

なぜなら、比較したところで己の主観でしかない。
他が本当に恵まれているのか知る由もない。

これほど無駄で愚かな事はない。



憤怒

憤怒の炎は自らも焼き尽くす。

怒りによって他を焼き尽くせたとてその炎燃え尽きることはない。
他を焼き尽くし、その炎は別の他へと燃え広がる。
その炎は際限なく広がっていく。

そして、最後には己をも焼き尽くすだろう。

しかし、そこで炎が消えることはない。

燻った火種を受け継ぐ者が現れるだろう。

恨みという炎は何時でも再燃することだろう。



色欲

色欲は快楽。

快楽に溺れる者を人は助けない。
なぜなら快楽を得られぬ方が多いからだ。

嫉妬・・・

色欲に塗れることは、嫉妬を生む。
子孫繁栄につながる欲望は、絶えることはない。
多くの嫉妬を生む事だろう。

程々にすることだ。



強欲

人の欲望は果てしない。
一つ欲を満たせば、新たな欲を欲す。
それが永遠に続く。

そして、最後は分不相応なものを欲しがる。

キリがない。

身の程を弁えず傲慢にもあらゆるものを欲し続け、本当に欲すものを見失う事だろう。

まさに強欲。

欲望の果てにあるのは、果たして満足いくものなのだろうか?

否、果てしなく続く欲望に対し満足などあり得ない。

一生満足せずに終える事は強欲にとっては最も哀れなことだ。

満足を欲しているのだから。



怠惰

怠惰は死そのもの。
怠惰に憑りつかれては生きている意味がない。

肉体は動くようにできている。
動かさなければ、動く必要がないように成っていく。
動く必要がなければ、肉体は停止する。

肉体が停止すれば精神も停止する。

それは死と同義。

生は動、死は静。

止まった時点で死なのだ。

怠惰は死を呼ぶ。
生の意味を否定する。

しかし、怠惰に憑りつかれたものにとっては福音なのかもしれない。



暴食

食い過ぎは体に良くない。

食い過ぎは胃を壊す。

食い過ぎは太る。

太ると動きづらい。

そして、怠惰につながる。

食は程々にしないと、すべてを食い荒らす。

己の大事なものまでな。



七つの大罪って本当に罪なことなのかもね

全て身を滅ぼすわ。

しかも、周りも巻き込む。

これらは悪魔にも対応してるが、上手く言ったもんだな。
人間の内面にあるものこそ悪魔と言われるものなんだろう。

自分たちの認めたくない汚い感情を悪魔とかいうものを生み出し、その悪魔の所為にしてるんだからな。

さすが人間、汚い。
そうまでして他に責を擦り付ける体質は昔からなんだな。

それを大“罪”とか言っちゃってるんだもんね。

これらを表面に出すと確かに迷惑だわ。

自分たちが罪としたものを悪魔の所為とし、罪を逃れるとはねぇ。

悪魔などこの世にはいねぇ。
どんな非道な事でも、その行為を行うのは人間以外に居はしないんだよな。

そんなに認めたくないほどの罪なのかね?
自分の中の悪魔を受け入れてこそ自分の事が理解できるのにね。

それが分からず、こんなものを書き記したとしたらやはり人間の心は弱すぎるわ














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薬やる奴って覚悟とかないのかね

覚悟もないから懺悔するんだろうな

清原の話題ばかりやってる。
自分のやったことに後悔しているんだろうか?
薬やる奴ってこうなるって覚悟ないのかね?

もしくは、一生薬やり続けるぞって覚悟。

そういう覚悟を人生の節々でしてこないから転落するんだろうな。
そして死ぬまで後悔しながら生きていくのだろう。

本当に自堕落で思慮の浅い人間ばかりだな世の中って。
それをやったら後悔するって予測もつかないのか?
阿呆ばかりだな。

清原には何の後悔もないと胸を張り、やくざな世界で生きていってほしかったが・・・
まさか泣き落としとはね。
後悔の塊だな。

後悔などしたことないけどな自分は。

こんな男を番町と呼ぶ周りの糞もムカつくわ。

頭はってやってる人間は手前の行動に常に責任を持っている。
後悔する様な事をそもそもしない。
なぜなら自分の信念のままに生きれば後悔することはないからだ。

悪ぶって見掛け倒しの悪しかできないやつと同列にされるのは遺憾。
誰が清原番長とか呼び出したんだ?
単なる大人デビューだろ?あれ。

本物の番長はガキの頃から番長だよ。
意思も弱くない。


仮に薬をやろうと思ったのならどうなるかの覚悟を持って行動する。
後から悔やまない。
なぜなら、自分が選んだことだからだ。

薬で頭おかしくなろうが、指がなくなろうが気にしないし後悔もしない。
それが自分で選んできた道だからな。

誰に許しも請わない。
後悔しない。

それができないこの辺が半端なんだよ。

薬の知識などこの情報社会だったらいくらでも手に入る。
それでも手に染めたなら最後まで突っ走ってほしいものだ。

そうなることが分かってて、つまり自分の体を壊すことが分かってて。
それを受け入れる覚悟があったんだろうと思わざるを得ない。

しかし、見る限りでは後悔しているように見える。
予測もつかないバカだったんだな。

更生?
ちゃんちゃらおかしいぜ。
番長だろうがよ。

仮にも番長と呼ばれる男なら、後悔する姿など見せるべきではない。
何より下の者が幻滅する。
番長は墓場まで弱味を見せないんだよ。

どれほどの逆境だろうとな。

ドラフト会見で泣いてるような優等生が番長と呼ばれるのは昔から違和感あった。
清原は普通の人間だよ。
番長と呼ばれるような修羅場もくぐってないお坊ちゃんにしか見えんわ。

しかも、自分のやったことに後悔し、後悔する様な事に手を染めない意志の強さもない。
番長どころかいじめられっ子レベル。


体を壊す覚悟もない。
今のつらさ以上のつらさを味わう覚悟もない。
そんな自分の意志の強さがどれほどなのか、自分の底も分からない。

そして、当たり前のように後悔の念に苛まれるんだろうな。
普通過ぎる。

そんな無能が薬に手を出すとこうなるっていうのを世間を見て学ばない、無知を恥と思えない浅はかで知的生物とは思えない馬鹿さ。

薬中は概この類の人間だわ。

まあ、人間は快楽には耐えられないって言うしな。
当然なのかもしれないがな。

快楽は普通は体に良い作用をもたらすから拒否が難しい。

だが薬はメリットない。
並みの思考があるなら手を出すことはない。


個人的には薬も快楽ならとことんやればいいのにとは思う。
懺悔する必要もないし止めることもない。
別に他人に迷惑かけるわけでもなし、自分の頭が壊れていくだけだろ。
もっと世間に蔓延って邪魔な人間は薬やって自滅していけばいい。

法で裁かれるかラリって誰かに殺られるかのどちらかだろう。

論理的思考もできない無能だったら私にとっては必要ではない。

人間は自分と極近しい人間以外に何の感傷も持たない。
私も例外ではない。

邪魔な人間は全て滅べ。
特に薬に嵌まる弱者はな







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