人を助ければ自分も助けてもらえる助け合いとか言う綺麗事

助け合いとか笑える

助け“合い”にはならない。

助け合えるのは同じ程度の人間同士でしか成立しない。
大抵の場合、一方的に助けるか助けられるかだ。

助け合いの心を幼少期から教えることに疑問を感じたものだ。

悪い意味での平等を推し進める学校のやり方は本当に気に入らない。

助ける側は常に助け続けなければならない。
いざ、自分が助けて欲しいときに自分でも手に余る事柄を、助けられることしか出来なかった無能にどうにか出来るわけは無いだろう。

結局、助け“合い”にはならない。


助けることが出来る奴は助けることを当たり前のように求められる。
助けられるのに助けることをしなければ、出来るのにやらない冷酷な人間扱い。

やるかやらないかを決めるのは選択肢が多い有能の特権なのにだ。
その選択肢を奪い、“しなければならない”と強制する事にしか思えない。
助け合いとはそういう事だ。

思えば学校での教育は競争社会において異質なことを大人は教えていたな。
子供の中はきちんと競争社会だけどね。
それを大人が介入し無能を助けようとしてるわけだ。
無能な人間を「皆で助けようね」と。

助け“合い”ならば、皆で助けたその無能は皆に何をすることが出来るのだ?

他を助けることなど出来はしない。
だから、助けられているんだから。


助け合いとは、有能な人間に無駄な枷を与え余計な負担を無能の分も引き受けるという事。
助け合いを美徳とするならば、他を助けることが出来ない人間にも相応の枷を用意すべきだ。
無能を助けるという枷をはめられた“助ける側”と同じように。

しかし現実は、助ける側が一方的な負担になっているとしか思えない。

そもそも人にそこまでの差は無い。

助け合いは成立するはずなのだが、やはり助け合うというのはあまり体感しない。
助ける方は常に助けるし、助けられる方は常に助けられている。
そこには少なからず優劣は存在しているのだろう。
助け合いなど一部でしかないのだ。


助け合い、
助けたならば助けられなければおかしい。
だが、殆どは一方通行だ。

助け合いを勧めている人間はこの少なからずある格差を考慮していない。
平等っぽく見えて、実際は実に不平等な事だと思う。

無能な故に一方的な恩恵を受ける者と、半端に優秀な故に無能な者の尻拭いをする者。
これが現実だろう。


困ったことがあったら助け合いましょうとか子供に平気で教える大人には呆れる。
まあ、賢い子供は自分の体験で学んでいくだろうけどね。

大人に教わってきたという奴は大抵他人に頼るような人間だ。
ある意味学校教師は綺麗事しか言わないし、学校教育自体が洗脳だしな。
自分で体感し自分で考えて学ぶ奴は学校で教わることは、社会には馴染まない事に気付けるだろう。


考え方としては助け合いではなく、助けてあげると見下していればいい。
そもそも助けられる事がないような人間は、助けられる事を良しとしない。
他人に助けられることがない様に常日頃から精進しているからだ。

もし、助けられることがあるならば、その悔しさは計り知れない。
自分の修練が及ばなかったと感じるからな。

そんな人間を無能が助けようなんておこがましいのだ。

それと、助けるならば助けても見返りを求めないことだ。
“合い”とかつけるから、助ければ助けてもらえると勘違いするのだ。

助けることをしようと思ったら無心でやることをオススメする。
いずれ自分も困ったときに助けてもらえるとか思って助けてはならない。
助けたときに助けられ、これが成立すれば確かに助け合いだ。

しかし、現実はなかなか“合い”にはならない。

何かを助けることに見返りを求めるべきではない。
そんなことも分からない無能が多い中、これができればなかなか優秀だろうな。


世の中偽善者は多い。
助け合いの心など最たる例であり悪習。

助け合いなどあからさまに見返りを求めている言葉だ。

こんな教育しているから、偽善者の巣窟なんだなこの国は。

本来、助けることにそれ以上の意味は無い。
自分が助けたいと思ったら助ければ良い。

「~したのに助けてくれないからもう助けない」とか言う馬鹿ばかりだ。
そんな事は人間を相手にしている以上当然知っているはずだろう?
自分がそうなのだから。

助けてもらったからではなく、助けたいからだろう。

そう思える間柄が根幹にあってこその助け合いなのだろうな。

まあ、人間は誰でも偽善者だから助けること自体にに快楽を覚える。
ただそれを満たせただけでも有難いのに見返りを求めるなって事だな。



会社で助け合いはない

偽善的な助け合いを見ていると反吐が出る。
会社とかで助け合いという言葉を使うなと。
足を引っ張るのも論外だが、出来ない奴を助けなければならないというのも論外だ。

報酬を求めて行っている仕事ならば、助けられる側が一方的に有利だ。
報酬が変わらないにも拘わらず仕事量に差が出るのはおかしい。
自発的ならいいが、会社で強制するのはいかがなものか?



結局したい奴同士で助け合いすればいい

“助け合い”をしましょうとか他に言われることではない。
助けたければ助け、嫌いな奴なら放置。

自分の裁量で決めるのが一番。

それなのに大人は子供にそれを教えている事が不思議。

この手の教訓的な事は考えても仕方ないのだが、どうも腑に落ちない。
これを良しとし、助ければ助けてもらえるんだよと教えることに・・・


まあ、人生そんな甘くないよといずれ悟るだろうからいいけど





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