便利になるということはやる事が無くなる事

私は大して便利に思えない世界だな

なんでもでもかんでも便利にしていくのに何となく危機感を覚える。

便利になるということは、怠けるためとも言える。
自分ができない、もしくはやりたくないことをやらなくてもいいようにするって事だろ。

そのやらなくて済むようになったことにより、空いた時間に何かしよう。
でも、その何かも如何にやらなくて済むように考える。

つまり“便利”にする。

これの繰り返し。

何もやらなくて済む、やることがなくなる。
そうなると、人間一人にできることなどたかが知れてくる。
存在することすらやらなくて済むようになるのではないか。

自らの存在理由までをも、その怠惰な性質の所為で失くしていっている様に思える。

人々はどんどん便利になって喜んでいるのだろうか?
私はそうでもない。

身近なところで、車がAT主流になったことが残念。
トラックすらそうなってきてるし。

アクセルブレーキだけで、シフトレバーとクラッチペダルがなくなって便利になったと思える人は今の世の中も便利で良いんだろうな。

私はAT車はなんか物足りない。

これに限らず、やらなくても済むようなことは増えた。
そんなに何でも自動がいいのかね。

無理して利便性を求めるように新商品を開発して消費していく社会は止まらないんだろうな。
大して壊れてもいないものを廃棄して新しいもの新しいものと買わせる。
そんな感じがするわ。

無駄に消費して無駄に利便性を求めることは、人間が出来ることを奪っていく。

現状でも要らない仕事している企業は多い。
特に中小。

そんな世の中、自分の存在理由の無さを否定するかのように経営している企業は確かにある。

便利になる。
それは何かの存在理由を奪う事。

そんな風に考えることもなく、いろいろなものを開発して喜んでいる人間を見ていると、何か見えざる力でそうさせられてる様にも見えてくる不思議。


人間が知恵を得て、自分たちの便利を求めた末に、自らの代行者を創る事は、その代行者が自らを生み出させるために今までの営みで創造主の存在理由を奪ってきた。

それを最先端で生み出す者ほどそれに気付かない。

見えざる力に洗脳されている。


と、想像してみる。

まあ、そんなに長くは生きていないだろうからどうでもいいけどな。
なんか年とった所為か、良い未来が想像できん。

何事も程よいところが良いんだよと思うが、人間は探求心、好奇心の生き物だからな。
千年くらい生きてどうなるか見てみたい気もするわな






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