退屈という概念を持つということは時間の有効活用とは程遠い

退屈というのは子供の感覚

そういえば、大人になってから退屈だと思ったことはないな。

子供の頃は一人でかつ、やることがないと退屈でつまらない、だから遊びに行こうとか思ったもんだ。

しかし大人になった現在、一人でいようがやる事なかろうが退屈だと感じない。
むしろそんな状況が好きでもある。
何もすることがない=何もしなくていいだからな。

子供の頃は時間を持て余し、暇な時間を退屈と感じていた。

退屈という感覚は子供特有なものだと言える。

もし、大人になっても退屈だと感じることがあるのなら、それは子供のまま成長していないとすら思える。

退屈。
することがなく時間を持て余す、今していることに飽きるとかか?
まあ、確かに仕事を朝から晩までやっていれば“退屈”なのかもしれない。

でも仕事は仕事。
したくないのにしなければならないことに対し退屈っていうのも変だな。

やはり、することがなく時間を持て余していることが“退屈”って感じだな。

そうなると、やはり退屈を感じたことはないな。

することがなくても、することがない状態を飽きることはない。
むしろ、そんな時間こそ貴重。
子供の頃はこの貴重さが分からず時間を無駄にしてきたな~と思う。

大人になってからも退屈だと言っている人は本当に幼稚な考えだ。
それで、わざわざその退屈を紛らわす為に無理やりすることを探し、時間を埋める。

退屈だと思う事自体人生を無駄にしていると言えよう。

退屈とは、成長途中の子供の感覚だよ。
何をするのが今の時点でベストなのかが分からないのだからな。

退屈だから何かするのではなく、目的をもって何もしないというのもアリだな。
目的を持たず何もしないこと自体が目的にもなるしね。

何もすることがなく、何もしてないから退屈と言うのは子供の発想なのだ。

暇を持て余す。
そもそも暇を持て余すことはない。
暇になることが目的だったるりするし。

暇を持て余すのも子供の所業。

大人になると暇だと思わない。
子供が暇だと思う事は大人にとっては貴重な時間だ。

その時間を作るために行動することもある。

そういうと、“退屈”だけでなく“暇”とも思ったことないな。
今生きているこの瞬間を意識すれば、暇だとは思う事はない。

まあ、はたから見れば「あいつ何もしてなくて暇そうだな」と思われるかもしれない。
だが、少なくとも自分は暇だとは思っていない。

その暇だと思われるような時間すら自分にとっては忙しい時間と等価値なのだから。

暇だ、退屈だと思う事はそれだけ人生に無駄な時間があるという事だな。

いい大人にもなって時間の使い方も分からないのはどうかと思う。
あえて何もすることがない、何もしないことを受け入れるのも一つの手だ。
無理に何かしようとするのは時間の有効利用だと勘違いしているに過ぎない。

時間の有効利用とは人それぞれだ。
忙しく立ち回る事が時間の有効活用だとする人、ゴロゴロ寝るだけでも時間の有効活用とする人もいる。
何かをわざわざ探し、することだけが時間の有効活用ではない。
自然の成り行きに身を任せることも時間の有効活用にもなり得る。

自身にとって、有用なことは人により違うのだ。

暇そうだとか、退屈そうだとかは他人が決めることではないのだ。

そう自分の尺度で他人の感情を決めることは幼稚な子供としか言いようがない。
大人は自分自身で何が重要かを人生の一瞬一瞬において決めているのだ。



退屈だと感じる間がないのが大人

子供と違い、人生に責任を持ち、自分で切り開いていく大人は誰にも流されない。
確固たる自我を持っている。

退屈だと感じる暇もなく、自分のすべきことは自分自身で決めていく。

だから、暇なら付き合えという我が友は放っておいてひと眠りすることにする






関連記事
このエントリーをはてなブックマークに追加


コメント

Secret

スポンサーリンク
プロフィール

ひろし

Author:ひろし
ちっぽけな
このこころざし
宇宙に届け

いやなにきび
月別アーカイブ
カテゴリ
楽天
検索フォーム
いろいろ語ってます

全ての記事を表示する

RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
広告
仕事中震災に会った